我が家は兼業農家で、うちの庭には渋柿の木があります。
毎年たわわに実をつけてくれます。
先日、出先から家に帰ると、玄関先にたくさんの収穫された渋柿が置かれていました。
すると、母屋から母が出てきて「渋柿獲ったから」と一言。
その言葉の後に続くのは、「干し柿にしてね」です。
こんなにたくさん…はっきり言ってめんどくさい!
母だって、絶対に面倒だから私に押し付けてる。
よし、なら私だって絶対に一人ではやらない。黙々と一人でこの面倒な作業をするなんて絶対に嫌だ。
旦那さんと一緒にやろう。そうすれば早く終わるし。
でも、やる気が起きず2日間その渋柿は放置しておきました。
そして今日、別の用があって母屋に行くと、
そこにはもっとたくさんの渋柿が置いてありました。
母は、「私は食べる専門だから、干し柿にするのはお父さんだからねって言ってあるの」といかにも面倒なことはごめんだという感じで言っていました。
その言葉を聞いて、絶対ひとりでやってやるもんか、というねじ曲がった自分を見ているようでちょっと恥ずかしくなったんです。
ちょっとヤだなと思って、考えを巡らせていると、
毎日忙しく働いている旦那さん(最近は特にまた忙しそうで、毎日帰宅時間が21時回ってしまいます)のことや、
干し柿をいつもおいしそうに食べる長男の顔が浮かんできました。
そして、私のねじ曲がった心に気づかせてくれた母の言葉。
結局、渋柿を手に作業に取り掛かることにしました。
やり始めると、めんどくさいはめんどくさいのだけど、こうして渋柿を一つ一つ剥いていく作業に幸せすら感じている自分がいました。
毎年、干していた柿がいつの間にか少なくなっていって、
犯人は誰かと探すと、必ず長男で、
スマホを片手に美味しそうに無心になって食べてる姿を思い出したら、
渋柿をひとりでお世話するのがとっても幸せに満ちた時間になっていました。
そして、これはひとり作業に取り掛かった自分へのご褒美なのか、
手を動かす作業をし始めると、無になれます。この感覚が私は大好き。
何も考えない空っぽで自由な自分が一瞬いたような気がするんです。
ちょっとしたヨガをやっているよう。
最後、焼酎を吹きかける作業を終えるとスッキリした気持ちにさせてくれました。
(学校から帰宅した三男が干す作業を手伝ってくれました。ありがとう)
おいしくなりますように〜!
にしても、多かった。
(ひとりで62個の柿を黙々と皮剥きして、吊るすまで約2時間でした)
で、さっきまた別の用で母屋に行くと、
「まだあるからよ〜」と父の声。
いや、もういいです。笑
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